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長門実愛(35)

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オーガズムの調律師

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長門実愛の日記

2024-12-17 21:05:07

秘密の公開(かなり長文です)

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先程の問への答え。

写真の文献などを参考にまとめています。


※ここでいうAEOとは、私がノートブログに纏めた催眠性オーガズムなどに近いものです。

つまり、宇宙的で神秘的な解脱を体感するオーガズムということ。



想像していただきたい。


言語を知らない状態で目隠しをしているあなた。


あなたは「山」を理解することができるだろうか?


山を理解するためには目隠しを取って言語を学んで、そして自分の身体を使って山に入らなければいけない。そして試行錯誤することでやっとで山がわかってくるのだ。だから、秘密集会タントラにしろ時輪タントラ(カーラチャクラ)にしろ、AEOを体得しなければ、絶対その本質は理解できない。AEOの体験は、密教経典を理解する言語そのものなのだ。


『インド後期密教 下』(松長有慶著)において田中公明は、『カーラチャクラ』で言われる密教最高の境地「最高の不変大楽」とはなにか? という議論を行う。つまり、『カーラチャクラ』の第三灌頂(般若智灌頂)と第四灌頂(第四灌頂は1:後灌頂と、2:後々灌頂があり、後灌頂では成仏できないと説く)で得られる「楽(=快感)」の違いについて、さらに第四灌頂の後灌頂と後々灌頂の違いについてだ。特に田中が注目しているのは第四灌頂の「後灌頂」と「後々灌頂」の違いである。


結論から言うと、この田中の議論は、僕が常々言っている「エロは捨てろ」「DO&EOやってる限りAEOにはたどり着かない」という話そのものである。つまり、田中の議論を言い換えると、「射精&DO&EO&AEOのそれぞれの体験の違い」についてなのである。これが書いてあるのが『カーラチャクラ』なのだ。


ではここから、田中の議論に沿って解説する。田中の議論とは「『カーラチャクラ』の第三灌頂と第四灌頂の違い、そして第四灌頂の後灌頂と後々灌頂の違いについて」であった。


まず、カーラチャクラには世間灌頂と出世間灌頂のふたつがある。世間灌頂は公に一般大衆にも行われるもので、これはどうでもいい。無意味である。単なる入学式みたいなものだ。考える必要はない。


問題は出世間灌頂である。


出世間灌頂とはなにかといえば、1瓶灌頂、2秘密灌頂、3般若智灌頂、4第四灌頂(後灌頂、後々灌頂のふたつがある)の4つからなる灌頂であり、後期密教を継承するものである。つまり、性的ーヨガの技法が伝授される。


1の瓶灌頂は暗示効果や決意を狙うものなので言ってみれば準備段階である。なので詳しい説明はしない。注目すべきは、2秘密灌頂、3般若智灌頂、4第四灌頂(a後灌頂、b後々灌頂)の「4つ(2、3、a、b)の灌頂(技術の伝授)」があるということである。


ここで、以下の対応を示す。というか、これがまさに答えだ。目と脳みそに焼き付けるのだ。


・2秘密灌頂=催眠

・3般若智灌頂=射精&DO

==以下第四灌頂==

・a後灌頂=EO

・b後々灌頂=AEO


なんてスッキリ! では、上から順に説明していく。


まず2秘密灌頂だが、これはキツイぞ。いわば通過儀礼であり、キツければキツイほどいい。そのほうが「その気になる」のだ。つまり、以降の修行のために気合を入れるのである。何をやるのかといえば、眼の前で師匠とダーキニー(女性パートナー)がsexをし、師匠が放出した精液である菩提心を飲むのである。キツイ。でもこのキツさがいいのである。ろうそくが灯された暗い部屋に荘厳な曼荼羅が作られ、その真中で師匠とダーキニーがsexをする。それだけで変性意識に入るだろう(笑)。一種の催眠である。だから、この2秘密灌頂の直後に、次の3般若智灌頂が行われる。催眠状態になってから本番、ということである。

3般若智灌頂であるが「般若とは変性意識状態下での認知能力である」として、3般若智灌頂では女性パートナーとのsexや師匠からの諸々の技術の伝授によって、射精の虚しさとDO技術を学ぶ。DOでは通常射精とは異なり賢者タイムに陥ることもないし、DOをステップボードとして変性意識に移行することもできる。だからこそ、「般若智灌頂」なのだ。般若智の扉を開くということである。


次に第四灌頂であるが、前述のようにa:後灌頂、b:後々灌頂に分別され、bの後々灌頂は言語化され体系化されていない。つまり「口伝」であり、ここが密教の本丸であり、阿闍梨の資格を師匠から弟子に付与するものである。まずはaの後灌頂から説明しよう。以下、『インド後期密教 下』p206の田中の論述から引用する。


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まず後灌頂では、射精を抑制して印(女性パートナーのこと)との性行為で生じた楽を持続させる、いわゆる「逆流」(ウールドゥヴァ・レータス)の技法が伝授される。本書『サマーヨーガ』のところでも述べたように、後期密教では、精液が菩提心と呼ばれ、射精は菩提心を捨離することに等しいと考えられた。そこで射精を抑制することが、行者の最大の「禁戒」と考えられたのである。

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ここで大抵の男は終わる。つまり、満足してしまう。DOやEOで相当に気持ちいいからだ。性的ヨーガを実践する女性パートナーと一緒に暮らし、技術向上に励む。射精の快楽などアホくさくなる。しかし、この上のb後々灌頂(AEO)がある。このa後灌頂の時点では、まだ女性パートナーを要する。つまり、対象がいる。対象がいるということは、まだエロの要素があるということだ。

3の般若智灌頂ではDO以外にも女性パートナーとsexをして射精もするが、この時の射精は非常にゆっくりと行わなければいけないとされている。なぜか? じっくりと体内を観察するためである。性感がどのように体内で発生して動き、精液がどのように放出されていくのか、その時の体内の様子をじっくりと観察しなければいけないのである。女性パートナーを要するが、なるべくエロ要素を排除するために観察するのである。徹底的に観察すれば、エロなど考えている暇はない。


次に、後灌頂のあとに行われる後々灌頂について田中の説明は、


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磨印はもとより、智印によって生じた楽でさえ最高の境地ではなく、われわれは最勝本初仏の境地である「最高の不変大楽」(パラマークシャラ・スカ)を求めなければならないと教識が与えられる。『インド後期密教 下』p206となっている。簡単に言えば、「射精→DO→EOって修行してきて、めっちゃ気持ちいいよな。でもな、それも頂上じゃないんだわ。我々はその上の無限の快楽、最高の不変大楽であるAEOを求めねばならないのだ!」ということが師匠から教えられ、その技術を伝授してもらえるということだ。天武氏と僕がポストしてることとまったく同じことを言っているのである。


ここで田中は思う


「射精よりも、DOよりも、さらにはEOよりも気持ちいいAEOってなんぞや? EOですらもうよくわからんのに」


と。


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それでは最勝本初仏の境地とされる「最高の不変大楽」とは、いったい何を意味するものなのだろうか?大注釈『ヴィマラプラバー』の最後を飾る「智慧品」の注解は、全体で四つのトピックを扱っているが、第三の「最高の不変大楽を成就する大略集」は、「智慧品」第一二七偈のみを注釈するにすぎないのに、二六一偈からなる「智慧品」注の、ほぼ四分の一の紙数を占めている。

この事実は、シャンバラのプンダリーカ王を名乗る「ヴィマラプラバー』の編者が、いかにこの偈を重視していたかを物語るものといえる。そして、その主題である「最高の不変大楽」こそ、『カーラチャクラ』の究意次第において成就すべき最高の境地に他ならない。『インド後期密教 下』p207

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うむ、いいぞ。その通りである。AEOこそ究竟次第において成就するべき技術、つまり、インドで1500年ほど続いた仏教がたどり着いた最高の境地である! しかし、論理でたどり着けるのはここまでである。


DO&EOとAEOの違いってなんぞや? は、古代インドにおいても活発に行われた議論であり、経典によってはEOまでしか説いていないものもある(つまりEOまでしか到達できなかった人がそこが最高の境地だと勘違いして書いた経典がたくさんある)。

3般若智灌頂とa後灌頂で女性パートナーと性的ヨーガを行ってすっげぇ気持ちよくなってそれだけでもヤバいのに、そのさらに上を行くb後々灌頂(AEO)ってなんなんすか!!!!???? である。


宗教行為として女性パートナーと性的ヨーガを行うことですら相当ぶっ飛んでいるのでそこばかりに注目が集まるが、本筋はそっちじゃない。じゃあ、それより上って何???? という疑問は当然である。それに後々灌頂は極々極々限られた者にしか伝授されない。しかも伝授されたからといって体得できるものでもない。つまり、AEOの技術も非公開だし、そもそもほとんどの人がAEOを体得していないということであり、だからこそ議論が巻き起こるのである。


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いままで本書で見てきたように、後期密教は、性エネルギーを修行に利用する「性瑜伽」を導入した。後期密教系の灌頂では、性的な要素を含む第二、第三灌頂を授けるようになった。

そしてこのとき、実際に「性瑜伽」を体験させる第三灌頂と、最終的な真理の伝授とされる第四灌頂が、どのような関係にあるかは、従来のインド密教でも種々の議論をまきおこした問題であった。『インド後期密教 下』p209

どうだろうか。天武氏の『エナジーオーガズム考察録』をきっかけとして、世間一般で行われている議論とまったく同じではないだろうか。

約1000年前とまったく同じ議論をしているのだ。そしてこの議論に関しては『カーラチャクラ』の大注釈書である『ヴィマラプラバー』が詳細を語っている。要約すると、


1 性的ヨーガで得られる快感はその上を行くAEOとはまったく別であると力説。


2 女性パートナーと性的ヨーガをしたり、また観想によって女性パートナーと性的ヨーガをすることは方便にすぎず、対象を作ってはいけない。対象を捨てろ。じゃなきゃ最高の不変大楽は得られない(=AEO体得できない)。


3 DOとEOの快楽は輪廻(欲望)の原因であり無明にほかならないからそれを知れ。だからAEOを体得して、質の低い欲望(快感)を断ぜよ(=輪廻からの解脱)。


である。


AEOにチャンレジする諸君。


君等はAEOを単なる無限の快楽を得る技術だと思っているのかもしれないが、実際には1500年続いたインド仏教の最高到達点であるAEOを体得しようとチャレンジしているのだ。その秘技は、インド後期密教を完全に受け継いだチベット密教でも、当然だが一般にも、またほとんどの僧にも明かされていない。もしかしたら、もう本物の体得者すらいないかもしれない。


AEOにチャレンジするということは、悠久の時を超えて、1000年前の行者とのコミュニケーションと言える。そう考えれば、単なるオナニーの延長と考えるよりも、日々のAEOの訓練にも身が入るであろう。


健闘を祈る!

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